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INTERVIEW お客様との共創

会社間の枠を超え、
お客様を巻き込む「ONE TEAM」で
「自ら」進化を楽しむ挑戦

KEY PERSON

浅利 智英

2003年 新卒 工業専門課程 情報処理科

豊田 昌幸 SI事業グループ 副統括マネージャ

2003年に新卒でNDSに入社し、大手ITベンダーの基でシステム開発を推進する。

2007年にアジャイルと出会い、また、要求開発やデザイン思考を学び、ビジネスを推進する上での価値の創出とそれを遂行するためのチーム作りの重要さに気づく。以降、アジャイルと要求開発の考え方を社内外に広めていきつつ、スクラムマスターとして大手ITベンダーとの共創を実現すべく、日々チャレンジし続けている。
また、現在はシステム開発に留まらず、自社の事業運営にもその考え方を転用し始めている。

#01 危機的状況が、会社間の枠を超え、
「自ら」一丸となった「ONE TEAM」を産んだ

豊田 昌幸/川部 剛

このままだと間に合わない。これからどうすればいいんだ」。2014年、NDSがソニービジネスソリューション株式会社(以下、SBSC)の下で進めていた、放送局向け録再システムの開発プロジェクトは、開始1年ほど経過した段階で、危機に瀕していた。そのチームを率いていた豊田昌幸は「当初予定していたアーキテクチャが、技術的にもスケジュール的にもハードルが高すぎて、理想と現実が大きく乖離してしまっていた」と当時を振り返る。

そんな中、プロジェクトを立て直すべくアサインされたのが、SBSCのプロジェクトマネージャーである川部剛氏だった。以後長年に亘って密接に続いていく川部氏とNDSのパートナーシップであるが、実は、こんな危機的状況から始まったのだ。

問題の数は少なく見積もっても1,000件を超えていて、さらに発散する恐れがあった」と、川部氏はこの現場の異質さに気付く。3カ月間ほどの奮闘の後、「これをまとめ、収束させるのは、正直言って、不可能なのではないか」。そう感じた川部氏は一つの決断を下す。

川部 剛

それは、「最大の問題であるアーキテクチャを刷新する」という、ある意味ちゃぶ台返しのような打開策であった。その決断に豊田は、「普通は決められた枠内でなんとかしようとしてしまうもの。その枠を壊すまでの決断はなかなかできないし、思いついても実際に行動に移し、社内外・顧客の説得はできない」と驚愕したという。

川部氏は、「お客様には『使い勝手は変えず、品質・性能を向上させる』という立て付けで交渉し、契約上の問題をクリアし、承認を得ました」と語る。こうしてプロジェクトは、予算も体制も一から組み直してリスタートを切ることになった。

その際、川部氏は自ら新しいメンバーをアサインし、体制を一新していったが、NDS だけには引き続き声をかけた。なぜ新体制において、NDS を外すことをしなかったのか、川部氏は「もちろん『全部外して組み直せ』という声もあるにはあったが、問題はアーキテクチャであって、開発自体ではないと思ったんです。それに、お客様に使い勝手の面で迷惑をかけるのは愚の骨頂。ここに来て一から新規協力会社とともに仕様を学ぶなんて悠長なことをしてはいられません。そういう意味で、仕様を誰よりも理解している NDS は欠かせないピースだったから」と答える。

豊田 昌幸

そんな川部氏のはからいに、豊田は「NDS としては雪辱を果たす良いチャンスをいただいたという想いでした。『エンドユーザであるお客様に最高のシステムを納品する』という使命感がありましたし」と感謝を覚えたという。一方で、「問題のアーキテクチャについても、ソフトウェア開発の立場からもっと技術的な提案をすべきだった」と反省する。

当時のシステム開発の常識は、役割分担をガチガチにして、トップダウンで進めていくものであった。アーキテクチャ策定において開発側から意見を募ったり、レビューをしたりなんてことは考えられなかったので、しかたない話だったかもしれない。だが、川部氏は「そういう受発注の主従関係を壊したかった」と語る。川部氏は「みんなが幸せに。働いている人が幸せに。」をスローガンに、チームにてこ入れする。

そこで豊田は、「川部さんとなら、トップダウン一辺倒ではなく、ボトムアップでも垣根無くなんでも話せる関係性を作れる」という確信を得て、川部氏に開発手法『アジャイル』を提案したのだ。

実は、アジャイル自体は、このプロジェクト当初から、NDS チーム内に限って実践していたんです。今回思い切って、『NDS チームの枠を超えて、SBSC 配下で一丸となってアジャイルを推進しませんか』と提案したわけですね」と豊田は語る。

豊田 昌幸/川部 剛

周囲のプロジェクトのどこを見渡しても、アジャイル開発の前例はなかった。それでも、本格的なアジャイル開発を実践したいという想いを持っていた川部氏は、豊田の提案に強く頷いた。これを受け、川部氏は、NDS をはじめとした開発会社をサブシステムごとに振り分けるかたちではなく、「ONE TEAM」として編成した。前代未聞のことだった。

結果、この試みは見事効を奏し、あの危機的状況だったプロジェクトは予算オーバーもせず、納期通り成功裏に終わった。その成功要因を豊田は「NDS が培ったアジャイルのノウハウを活かすべく、川部さんの求心力で、会社の垣根を壊してくれたこと」と語る。川部氏は笑いながら「スクラムマスターの豊田さんを中心に、NDS がとりまとめてくれたからですよ」とうそぶくが、ともに大きな壁を乗り越えた経験が、川部氏と NDS とのコラボレーションを加速させていくことになる。

#02 ソニーでナンバーワンの技術者集団になる、
そんな前代未聞のコラボレーション

豊田 昌幸/川部 剛

録再システムのリリースの後、川部氏は同じく放送局向けの生放送システムを指揮することになった。そこで、川部氏は録再システムの開発チームを呼び寄せた。

一度破壊したうえで再構築した、その強い信頼関係があったからです」と川部氏はその理由を語る。そこでまた川部氏は前代未聞の打ち手に出る。開発チームが一堂に会する大部屋を用意したのだ。「『元請けと協力会社では立場が違うから作業場所も分けなくてはならない』という決まりがありました。それを、セキュリティを担保しつつも、壊してくれたんですね」と豊田は当時を振り返る。

豊田 昌幸

『ONE TEAM』なんだからあたりまえだと思うんですよね」と語る川部氏の下、豊田は、チームみんなで考えた「ソニーでナンバーワンの技術者集団になる」というスローガンを掲げ、一丸となってプロジェクトに取り組んだ。こうして、2回目にして盤石のコラボレーションは最大限の効果を発揮し、またも見事プロジェクトを完遂する。

そんな川部氏に転機が訪れる。ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社(以下、SNC)への転籍である。その理由を川部氏は「放送局向け生放送システムでは、固定資産の管理で苦しめられたことが印象に残っています。そういう意味でも、これからはクラウドの時代だから、そこに『自ら』踏み込んでみたかったんです」と語る。豊田は「まさか自分の肩書きまで壊してしまうとは思いませんでした」と笑う。

転籍後も、川部氏はいくつかのAI・IoT系のシステムの開発に、毎回 NDS のチームをアサインし、両者の絶妙なコラボレーションでプロジェクトを円滑に進めていった。

#03 どんな逆境でも一緒なら乗り越えられる信頼関係 
それが本当のパートナーシップだ

一方、豊田は焦っていた。NDS として参入していた放送局向け全国拠点映像配信システムのプロジェクトに危機の予兆を感じ取っていたからだ。「始まって数カ月、立ち上げの段階で『このままだと大変なことになる』と、現場を俯瞰した統括の立場だからこそ気付いたんです。私自身、現場にどっぷり入り込むことはできない状況で、現場プロジェクトマネジメントをなんとかしなくてはならないわけです」と豊田は語る。

豊田 昌幸/川部 剛

しかし、NDS 側のリソースからはアサインできない状況。悩みに悩んだ豊田がひねり出した答えが川部氏だった。「『この規模、この難易度のプロジェクトマネジメントができるのは誰だ?』となった時に、真っ先に頭に浮かんだのが、他でもない川部さんだったんです。プロジェクトの成否を決めるのは『チームの信頼関係』に尽きますから」と豊田はその思考に至った理由を述べる。そこで、豊田は川部氏のもとに出向き、「うちのプロジェクトのプロジェクトマネージャをやっていただけませんか?」と依頼。当の川部氏は転籍し、もはや放送局向けのプロジェクトからは遠ざかっているわけだから、もちろん「ダメもと」だ。

川部 剛

正直、びっくりしました。もう会社も違うわけですし、商流上考えられない組み方ですし、こんなこと前代未聞」だと川部氏は絶句したという。ところが偶然とはおもしろいもので、「とはいえ、自分のリソースもそこそこ空いていたし、当時の上司とプロジェクト側のプロジェクトマネージャが知り合いだった偶然も味方して、意外なことに話はポンポンと進んでいきました」という。

『当たり前だと思っていたことを自ら破壊する』ことで状況を打破できるということは川部さんから学びましたから」と豊田は言う。こうして、川部氏は、協力会社ならぬ協力人として全国拠点映像配信プロジェクトに参入し、NDS の開発チームをともにマネジメントすることになる。

今回も『やるしかない』のは変わらない。まずは、各キーマンにインタビューして、状況を正しく分析。『たしかにこれは要求仕様が爆発して手に負えなくなるかもしれない』と判断しました。そして今回も、やはり『チーム作り』から始めたことを覚えています」と川部氏は参入当初を思い出す。そして、川部氏と豊田は、NDS 本社内に「戦略室」を設け、ソニーのメンバーから協力会社まで、全員を集めることにした。「体制の弱さをカバーするには、メンバーを物理的に集めて、すべてその場で即断即決をしよう」という川部氏と豊田の考えによるものだった。もはや破壊的イノベーション両者の共通言語になっていたのかもしれない。

豊田 昌幸/川部 剛

そこからプロジェクトは劇的に巻き返した。スケジュールは追いつき、立ち会い検査も難なくクリアしたという。川部氏は「どんな逆境でも、NDS となら絶対に乗り越えられるという自信があったし、ともに破壊し、再構築できるパートナーシップというのは本当に貴重」だと語る。

#04 求められるのはお客様を巻き込む「ONE TEAM」 
ともに「自ら」進化を楽しむ挑戦は続く

現在も、川部氏と NDS はがっちりタッグを組み、Azure、PasS、Serverless などを活用したクラウドビジネスをアジャイルで進めている。川部氏は「NDS はマイクロソフト系の技術に一日の長があったこともあって、Azure を用いたアーキテクチャのプロジェクトでは声をかけないわけにはいかない」と語る。NDS としても「SI事業グループとして、クラウド案件を増やしていきたいという想いがあった」と豊田が言うとおり、願ってもない話だった。

豊田 昌幸/川部 剛

そんな中、川部氏は長年抱えている一つの想いを温めていた。それは、「NDS の『要求開発』手法でもって、お客様であるエンドユーザの要求定義を手伝って欲しい」というアイディアだ。そのアイディアに豊田は「激動の時代、複雑化する世の中で、お客様もどういうものを生み出せばいいかわからなくなっているので、NDS が SNC を『要求開発』のノウハウで後方支援できる部分はあるはず」と共感する。

そう、川部氏と豊田が描くのは、「『要求開発』を通じた、お客様も含めての『ONE TEAM』」なのだ。そのためには、「要求仕様はお客様自身が決めるもの」という常識と、「超上流工程からの座組み」という契約の壁のふたつを壊す必要がある。それが次なる挑戦となるが、両者の見通す未来は明るい。

豊田 昌幸/川部 剛

まずは手始めに、私たちの事業計画を含めた要求を分析するのを手伝ってもらいモデルケースにしようと思っている」と川部氏は考えている。そこには「NDS は技術力が高いのはもちろん、何より『やる』と言ったことは必ず成し遂げてくれる」という信頼が横たわっているのだという。豊田は「川部さんとなら、未知の領域であっても、ともに新しいものを吸収しながら進化を楽しめる」と応える。

ともに破壊し、再構築した果てにある、どんなことでも遠慮なく言い合える「ONE TEAM」の絆の勢いは、これからも拡がっていくに違いない。